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―ところで、この入門書をぼくが訳そうとそもそも思い立ったのは、ドイツの社会運動をやっている友人の家にいくと、マルクスを読んでいないようなやつの本棚にもこの本が必ずあったからなんです(笑)。

彼らに聞いてみると、みな口を揃えて「この入門書はわかりやすい」と言う。

そこで、講演会に行ってみたら、大勢の人たちが毎回ミヒャエルの話を聞きに来ていた。

これだけ幅広い層に読まれている本ならば、日本にも紹介する価値があると思ったのです。

『資本論』入門はドイツにももちろんたくさんありますが、どうしてこの入門書がここまで読まれるようになったのでしょう?

 

 それは著者本人に聞く質問じゃないかもしれませんね。

 だって、そうすると著者は「私の書いた本の出来が、他のものより良かったからだ」って言いたくなるから(笑)。

 それでも敢えて答えようとすれば、3つの理由が挙げられると思います。

 第1に、『資本論』入門はたしかにたくさんありますが、それらのほとんどは『資本論』第1巻で満足してしまっていて、全3巻への入門というのはほとんどありません。

 しかし、3巻が1つの統一性をなしていて、第3巻でも非常に重要なテーマが扱われているということを多くの人は聞いたことがあるでしょうから、全3巻への入門書が魅力的に映ったのでしょう。

 第2に、『資本論』全3巻への入門は多くの題材を扱わなければなりませんが、だからといってあまり長くなってはいけません。

 ぼくの入門書は、だれも怖じ気づいたりしないコンパクトなサイズになっていると思います。

 そして最後に、入門書には簡略化が必要ですが、あまりに単純化しすぎて、重要な問題点が失われ、わからなくなってしまうようではいけません。

 ただ、大半の入門書ではそうしたことが起きてしまっています。

 価値論はしばしば、労働が価値を生み出すという単純な考え方に矮小化され、価値形態の分析の重要性は見失われてしまっています。

 ぼくの入門書では、価値論という複雑な事柄を酷く単純化して、いくつかのキーワードを残すだけにしてしまうなんてことなしに、理解しやすい形で叙述することに成功したと自負しています。

 そのことに読者も気がついて、この本を他の人にも薦めてくれています。

 

―なるほど。マルクスの価値論についての説明は、『資本論』全3巻を扱っているのにもかかわらず、この入門書のなかでも非常に大きな部分を占めていますね。

 出版された博士論文のタイトルも『価値学』でした。

 なぜマルクスの価値論はそこまで重要なのでしょうか?

 

 価値論がマルクス経済学批判の根幹をなしており、したがって特に入念に扱われなくてはならないということは明らかです。

 にもかかわらず、マルクスの価値論というのは、労働が価値を形成するという考えにしばしば矮小化されてきました。

 しかし、価値論は価値形態分析や物神崇拝の分析を含むものです。

 根本的には、マルクスの価値論はブルジョア社会における特殊な社会編成のあり方を分析する理論です。

 しかし、この点は伝統的なマルクス主義の理解のなかで重要な地位を占めてきませんでした。

 また、価値論は『資本論』第1巻冒頭の3章の内容へと制限されるものではありません。

 もちろん、そこでははっきりと商品と貨幣の問題が取り上げられています。

 しかし、価値論は全3巻にわたって中心的な問題を構成しています。

 資本は価値のさらなる発展した形態、つまり自己増殖する価値、過程としての価値です。

 利子生み資本はこの過程が外化したものです。

 『資本論』第3巻の末尾で展開される「三位一体定式」においては、この過程が物化した姿、つまり歴史的な社会的形態が自然化されてしまった姿で現れています。

 このように『資本論』のいたるところで価値が話題となっているため、価値論を正しく理解することが、『資本論』全体の理解にとって決定的です。

 先ほど名前が出たポストンのマルクス研究は形態分析の重要性を強調していますが、考察を生産の領域に限定してしまって、全3巻の内容を扱わないために、道半ばで終わってしまっています。

 また、階級社会の特殊でブルジョア的な形態は、価値によって媒介されています。

 つまり資本主義社会における特殊な社会編成は、奴隷制や封建制におけるように人格的な支配と従属の関係によって規定されているのではなく、商品と価値によって媒介された物象的な支配によって規定されているのです。

 したがって、資本主義の社会編成を批判的に分析するためには、価値の次元をしっかりと把握する必要があります。

 

―価値論をしっかり理解することが、資本主義社会における社会編成の特殊性を明らかにし、その内部に潜む矛盾や抵抗の可能性を把握することにつながっていきますよね。

 この入門書が初めて刊行された2004年頃も、シアトルやジェノヴァでWTOやサミットに対する抗議活動が非常に大きくなり、理論的にはネグリとハートの『帝国』が流行った頃でした。

 その頃の政治的、理論的状況は「前書き」のところでも触れられています。

 しかし、それから10年たって、オキュパイ、アラブの春、また日本では反原発運動など、反資本主義運動の展望を考える上でも重要な抗議活動が再び数多く起きています。

 この間の政治的状況の変化をどう見ていますか?

 

 その質問に答えるためには、1冊の本を丸ごと書かないといけないね(苦笑)。

 今挙げられた運動は非常に様々な目標を持っていて、異なった問題に取り組んでいて、政治的支配の独裁的形態を批判する運動もあれば、大きくなる一方の経済的格差を批判するものもあります。

 しかし、ほとんどの場合、資本主義そのものは問題視されていません。

 別にこれらの運動を批判しているわけではありません。

 人間は資本主義の批判者として始めから生まれてくるわけではないですから。

 むしろ、今のぼくの発言は人々の大多数に説得力のある形で資本主義批判を提示することのできないラディカルな左派に対する(自己)批判です。

 ちなみに入門書でも触れましたが、ネグリとハートの資本主義批判は問題含みですね。

 彼らのマルクス解釈は『要綱』に依拠していて、『資本論』をほとんど考慮していないために、彼らによるマルクスの価値分析や階級概念に対する批判は的外れなものになっています。

 それに対してぼくが自分の本で試みたことは、資本主義が何であるかを『資本論』に基づいてよりよく理解し、批判することです。

ミヒャエル・ハインリッヒ インタビュー(2)

聞き手:斎藤幸平

初出 『POSSE』vol.22

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