top of page

―ミヒャエル・ハインリッヒさんの『資本論』入門書 Kritik der politischen Ökonomie. Eine Einführungが、『資本論の新しい読み方―21世紀のマルクス入門』として2014年3月に堀之内出版から刊行されます。

 この本は2004年に発売されて以来、ドイツではすでに11刷を重ねていて、英語、スペイン語の訳書も出ています。ドイツのマルクスや社会運動に興味のある人でミヒャエルを知らない人はいないかと思いますが、『POSSE』の読者の多くは、ミヒャエル・ハインリッヒの名前をはじめて聞くと思いますので、まずは自己紹介からよろしくお願いします。

 

 ぼくの入門書が日本語に翻訳されることを大変嬉しく思っています。

 ぼくはいまベルリン技術経済大学で経済学を教えるかたわら、『PROKLA』という雑誌を編集しています。

 ぼくは1957年生まれで、もともとは西ドイツのハイデルベルクの出身です。

 ぼくがギムナジウム(訳注:日本の中高に相当するドイツの中等教育機関)で学んでいた頃は学生運動の名残がまだあって、学生運動によって提起された問題についての議論が盛んに行われていました。

 そのなかで、13歳で政治問題に興味を持つようになり、14歳のときにはじめてマルクスを読みました。

 

―早いですね(笑)。

 

 当時はそういう雰囲気があったのです。

 ギムナジウムや大学では左派グループのメンバーとして活動し、資本主義だけでなく、ソ連や中国の独裁的な国家社会主義を批判しました。

 「マルクス主義」というものが、歴史的にはサクセスストーリーではなく、マルクスの教えに基づいているとされる政党を批判的に見るべきであり、またマルクスの理論も批判的に取り入れなくてはならないということは、ぼくが運動に関わるようになった文脈において自明のことだったのです。

 こうして、知らず知らずにマルクスが娘ジェニーのアルバムに書いたのと同じモットーに従うようになっていました。

 それは「De omnibus dubitandum ―一切を疑うべし」というものでした。

 

―教条主義的な解釈に惑わされずにマルクスを批判的に研究することに対して違和感のない環境にいたのですね。

 

 とはいえ、政治とマルクスがぼくの唯一の関心だったというわけではありません。

 実際、学部時代の専門に最初に選んだのは、数学と物理でした。

 当時は、特に相対性理論や量子論に興味があったのです。

 けれども、大学の1年目が終わった時に、専門と居住地を変えることにしました。

 ぼくは西ベルリンに引っ越して―というのも、当時は西ベルリンが、非教条主義的な左派の中心拠点だったのです―ベルリン自由大学で政治学を専攻したのです。

 ディプロム論文(訳注:日本で言う修士論文に相当)では、「資本一般」というマルクスの概念がいかに発展したかについて書いたのですが、当時はまだ本当に出たばかりだった『マルクス・エンゲルス全集(MEGA)』を多く参照しました。

 その後、一般相対性理論における位相幾何学的方法の応用についてのディプロム論文を書いて、数学の専攻も修了しています。

 その後さらに何年か経ってから、Wissenschaft vom Wert(価値学)という論文で(訳注:出版され専門家のあいだで幅広く読まれている)博士号を取得し、そのなかではマルクス経済学批判の発展と、とりわけそのアンビヴァレンツを研究しました。

 つまり、マルクスの経済学批判は一方では学問上の革命であり、古典経済学(そしてそれ以外の経済学)が前提としている理論的領域からの断絶をあらわしています。

 しかし、他方では、マルクスの叙述は本来自分自身によって乗り越えられた言説の残滓に依然として囚われてしまっています。

 そして、この両契機の混在が一連のアンビヴァレンツや独自の諸問題を引き起こしているわけです。

 

―マルクス経済学批判のアンビヴァレンツという点は、入門書や『価値学』のなかでも強調されていますし、マルクスを「批判的に」扱うという姿勢がもっともはっきり表れている箇所だと思います。

 ただ、この点に関しては、われわれの間で解釈がわかれるところがあるので(訳書「訳者解説」参照)、今後いろいろ論争していきたいですね。

 ところで、こうしたマルクスを無批判的に権威として扱わないという基本姿勢には、さきほど言っていたような若い頃の環境だけでなく、「マルクスの新しい読み方neue Marx-Lektüre」と呼ばれるドイツマルクス主義の一潮流が大きく影響しているかと思います。

 ただ、このカテゴリーに入る人たちには、ミヒャエル以外にも、H・G・バクハウスやアルチュセール、ポストンなど、いろいろな時代、国籍、テーゼが混在していますよね。

 具体的にはどういった集まりなのでしょうか?

 

 「マルクスの新しい読み方」は1つの総称で、広い意味でも、狭い意味でも用いられています。

 広義には、1960年代以降に現れた新しい解釈を一般的に示すものです。

 その意味では、アルチュセールやイタリアのオペライスモによる様々な取り組みを含むことがあります。

 それに対して狭義には、1960、1970年代の西ドイツにおける論争に関わる用語です。

 当時は支配的だった伝統的で、単純化されたマルクスの読解に対抗するかたちで、「マルクスの新しい読み方」を掲げるバクハウスらによって、方法をめぐる問いが立てられました。

 つまり、どのような抽象化の次元でマルクスが実際のところ議論しているのかが問われたのです。

 経済的形態規定の分析、つまり、なにが前資本主義社会から資本主義の階級社会を区別するのかについての分析が前面に押し出されるようにもなりました。

 またマルクスの『資本論』は未完であったということだけでなく、『資本論』は国家や世界市場の分析を包括するより大きなプロジェクトの一部であるということが明確に意識されるようになりました。

 その結果『資本論』をよりよく理解するために、『経済学批判要綱』や「直接的生産過程の諸結果」などの草稿類も研究されるようになり、これらの諸草稿のあいだに存在している差異が議論されました。

 要するに、マルクスを批判的に読むようになり、マルクスが自らの方法上の基準を遵守したかどうかが吟味されました。

 その結果、マルクスは、もはやすべてを知っている理論家とはみなされなくなり、マルクスを単に正しく理解すればよいという考え方は疑問視されるようになりました。

 マルクスはむしろ研究者としてみなされました。

 つまり、マルクスはすべてを知っていたわけではなく、またすべてを正しく考えていたわけでもなかったのです。

 「マルクスの新しい読み方」に関しては、簡潔ながら、とてもよくまとまった論文をインゴ・エルベというドイツの研究者が書いていて、その英訳がインターネット上で読めるようになっていますので、もう少し詳しく知りたい方はその論文を読んで頂ければと思います。

http://viewpointmag.com/author/ingo-elbe/

 

ミヒャエル・ハインリッヒ インタビュー(1)

聞き手:斎藤幸平

初出 『POSSE』vol.22

bottom of page